吉田院長こんにちは、吉田接骨院院長の吉田です。
今回は「他では治らなかったけれど、うちで治った」という言葉について、治療家の立場から感じていることをお話しします。
「うちで治した」という表現に感じる違和感
ある治療家の方が「他で治らなかった人を、うちで治した」と繰り返し強調されていました。もちろん、それは事実かもしれませんし、患者さんにとっても喜ばしいことです。
しかし、私からすれば「それはその人だけの特別な出来事ではない」というのが正直な感想です。
実際の現場で起きていること
例えば私の院にも「カイロプラクティックに行ったけれど改善しなかった」「スラスト法(ボキボキ鳴らす施術)で逆に悪化してしまった」という方が来院されます。そして、その後に当院で施術を受けて症状が良くなるケースもあります。
もちろん逆に「うちでは治らなかったけれど、他院で治った」という患者様もおられると思います。
若い頃に持ちがちな「うちが一番」という気持ち
発言されていた方は20代半ばと若く、勢いもあったのだと思います。実際、私自身も20代の頃は
吉田院長吉田接骨院が一番!
と思っていた時期がありました。
施術の経験を積み、治せる症例が増えてくると、「自分のやっていることが一番正しい」と思ってしまうのは自然な流れです。おそらく、どの治療家も通ってきた道ではないでしょうか。
歴史の中で積み重ねられてきた治療法
ただし忘れてはいけないのは、私たちが行っている治療法は、先人たちが積み重ねてきた経験と歴史の延長線上にあるということです。
私たち一人ひとりが特別なのではなく、多くの施術者が積み重ねてきた努力の中で技術や理論が磨かれてきた。その流れの中に私たちがいるのだと考えています。
まとめ
「他では治らなかったけれど、うちで治った」という言葉は、患者さんにとって大きな希望になるかもしれません。ただ、それは決して一人の治療家だけが特別にできることではなく、多くの現場で起こり得ることです。
私自身も日々臨床に向き合いながら、「特別である必要はない。誠実に患者さんに向き合い続けることが一番大事だ」と感じています。